松島遊廓(まつしまゆうかく )は、明治時代に築かれた遊廓、赤線。通称で松島新地と言う。江戸時代の新町遊廓に代わる大阪の新たな遊廓として、木津川と尻無川 の当時の分流点である寺島(現在の松島公園付近)に明治に成立した。以後、市電の便もよい松島は歓楽街として繁栄し、周囲の九条新道も都心有数の商店街として栄えたが、戦争と大空襲でその面影も消え、売春防止法施行で廃止された。
地理 [編集]
大阪府大阪市西区本田(ほんでん)
大阪市営地下鉄中央線
九条駅下車
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線
ドーム前千代崎駅下車
阪神電気鉄道阪神なんば線(2009年春開業予定)
九条駅下車
ドーム前駅下車
阪神高速道路16号大阪港線
九条出口
本田入口
歴史 [編集]
1868年 川口居留地近くに松島町が誕生
1869年 松島遊廓が成立
1926年 松島遊廓疑獄(下記参照)
1945年 大阪大空襲により全焼
1958年 売春防止法施行により廃止
以後、料亭街「松島料理組合」ということになっているが、料亭の仲居との自由恋愛との名目により営業形態はそれほど変わっていない。なお、大阪府は条例でソープランドを許可していない。
松島遊廓疑獄 [編集]
松島遊廓疑獄とは、1926年に明るみに出た戦前日本の汚職事件。当時大阪市西区にあった大阪最大の遊廓、松島遊廓の移転計画を巡り、複数の不動産会社から、与野党政治家3名が、移転を巡る運動費(当時の金額でそれぞれ3?40万円)を受取ったとされたが、後の裁判では、全員無罪となった。また、現職総理大臣が予審尋問を受けるという、前代未聞の事態は第一次若槻禮次郎内閣総辞職の遠因にもなった。
事件の経緯 [編集]
1897年-
松島遊廓周辺が市街地化したため、築港(現在の大阪港駅方面)側への移転構想が初めて持ち上がり、以後幾度となく検討される。
1926年-
年初より、遊廓移転先を巡り、複数の不動産会社が競合して与野党政治家に資金をばら撒いたとする内容の、怪文書が流布する。
2月28日 - 松島遊廓移転を巡り疑獄事件発覚。与党憲政会総務箕浦勝人・野党政友会前幹事長岩崎勲・野党政友本党党務委員長高見之通らに収賄容疑が持ち上がる。
7月6日 - 江木翼法相、閣議にて事件の予審尋問が閣僚にも及ぶ情勢と報告、若槻禮次郎首相らに了解を求める。
7月7日 - 大阪地裁検事局、床次竹次郎政友本党総裁を予審尋問。
11月7日 - 大阪地裁検事局、若槻首相・中川望大阪府知事らを予審尋問。
11月9日 - 箕浦、若槻首相を偽証罪で告発。
12月30日 - 大阪地裁検事局、予審終了。検事局は政府及び大阪府には遊廓移転計画はなかったと判断し、箕浦・岩崎・高見ら6人を詐欺容疑で起訴。
1927年
1月15日 - 大阪地裁検事局、若槻首相、床次総裁らを不起訴とする判断。
4月17日 - 枢密院、昭和金融恐慌に際して出された台湾銀行救済緊急勅令案を否決、若槻内閣総辞職。
7月11日 - 松島遊廓疑獄初公判(傍聴席は満席)。
後の判決では箕浦、高見は無罪(岩崎は途中死亡)、有罪は2名のみ。
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